ウォーキングコースに、十条の冨士講の冨士塚があります。
道路拡張でどうするのかな?と気になっておりました。ところ、移設・改造工事が進んでおりました。
山頂にあった、祠は金網で保護されおりました。
冨士塚完成時祠は山頂にしっかり飾っていただける様です。
ウォーキングコースに、十条の冨士講の冨士塚があります。
道路拡張でどうするのかな?と気になっておりました。ところ、移設・改造工事が進んでおりました。
山頂にあった、祠は金網で保護されおりました。
冨士塚完成時祠は山頂にしっかり飾っていただける様です。
イタヤランバーの所在地は、栃木県小山市粟宮です。
『安房神社』 アワ神社の参道の脇にあります。
安房?粟? どちらにしても安房神社からの地名です。
小山市間々田の「じゃがまいた」をイメージした手水舎です。
鳥居の奥にある本殿。
安房神社には、モミの木の群落があります。
閑静で心洗われる安房神社境内です。
ウォーキングコース途中、飛鳥山前郵便局にあるお稲荷様です。
『夜間警戒強化中』の注意書きがあるように、プライベート用なので、普段はアコーディオンゲートで仕切られております。
今回はラッキーなことに仕切りがありませんでした。
プライベート用ですが、思わず手を合わせてしまいました。
王子ですのでお狐様。(お稲荷様)多く見かけます。
ウォーキングで、『近藤勇の墓』へ・・・
埼京線板橋駅徒歩1~2分程のところにあります。
丁度板橋区と北区の区堺です。
北区に住んで45年以上になりますが、初めての訪問です。^^
肖像画も飾ってあります。
また、近藤 勇墓より徒歩1~2分のところに祠があります。由来等はありません。
馬頭観音様でした。もしかしたら?近藤勇さんの馬小屋の跡かしら?
ウォーキングで赤羽八幡神社へ行きました。
右側が歩いての参拝入口。左側が車での参拝入口。
上部の高架は新幹線です。
参拝口を歩いて行くと階段が・・・
上りきった所に神殿が・・。
境内には絵馬が山盛り(?)・・
境内から車道を下りて行くと・・ 新幹線の線路が・・
新幹線が丁度八幡神社に飲み込まれて行きます??
八幡神社のWEBに下記の説明がありました。
八幡神社と新幹線
テレビ報道などでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、当神社の境内の下を東北・上越新幹線が通っています。当社が鎮座する赤羽台は、武蔵野台地が関東平野に突き出している東北端に当たり、当社は標高20メートルほどの小高い山にあり、昭和初期ころまでは、赤羽山八幡宮と呼ばれていました。
1971年に東北・上越新幹線工事が認可され起工されると、そのルート上、どうしても赤羽八幡神社の小山を避けることは難しく、現在のような神社境内下をトンネルを掘り通過させるという設計に決定してしまいました。当社も、御神域の下を新幹線が通過するという前代未聞の設計に、地域氏子住民とともに強く反対しましたが、最後にはその国策を受け入れ、承認しました。
その間、当初の『大宮の手前までは地下トンネル化』の予定が、地質調査の結果、地盤が軟弱なために全面高架方式となったため、戸田市や浦和市などからの反対行動が起きるなど、さまざまな問題もありましたが、1982年6月23日に東北新幹線の大宮~盛岡間が開業し、同年11月15日には上越新幹線が開業しました。
そして1985年3月14日に、当神社地下を通る東北・上越新幹線の上野~大宮間が延伸開業となりました。さらに同年の9月30日には、新幹線の前面高架化の見返りとも言われる、赤羽~大宮間の通勤ラッシュ緩和と与野・戸田への鉄道開通とを目的ともされる通勤新線「埼京線」も併設開通となりました。
現在では、新幹線もさらに延伸され、1991年6月20日には東京駅に乗り入れし、1992年には山形新幹線が、1997年には秋田新幹線、長野新幹線が相次いで開業し、当神社下、赤羽台トンネルを通過する新幹線の本数も増加しています。
普段何気なく利用している新幹線が、トンネルを入ると赤羽八幡神社の御神域下で、神様からお守りされているわけです。これも遠く1200年前、坂上田村麻呂公が遥か京より東北地方を目指し、途中この地に陣を張り、戦勝を祈願して八幡大神をお祀りしたこと、さらにその八幡大神は交通の守り神でもあるからなのか、赤羽八幡神社の下を新幹線が通過するのもある種の運命なのかもしれません。
その新幹線ですが、もちろん神社ご本殿下を通過はしておらず、社務所の下を通過しています。その様子は裏参道でもある坂道からはっきりと確認できます。また、その設計上、裏参道に設置されている大鳥居の間を新幹線が通過して見える様子は、まさに日本全国ここだけの景観であり、テレビでも放映されるなど、鉄道愛好家の撮影ポイントとなっています。
境内の南端からは、新幹線と埼京線がトンネル内に進入していく様子が見られます。この場所からは、神社のすぐ脇を通っている京浜東北線・宇都宮線・高崎線や、時間によっては東武鉄道のスペーシアなどが通過していく様子も見ることが出来、電車好きなお子さんを連れたご家族の姿もよく目にします。
神社下を新幹線が通過するという光景は、日本人だけではなく、海外の人には特に不思議な光景に映るようで、過去にはドイツテレビや南ドイツ新聞の取材も受けており、ドイツ国内で放映されたようです。毎年1月には、赤羽駅・北赤羽駅・浮間舟渡駅の駅長さんをはじめ職員の方々の正式参拝もおこなわれるなど、この3駅に神社の御神札がお祀りされています
今回は、少々足を延ばして池袋近辺へウォーキングです。
池袋春日通り沿いに『六つ又子育地蔵尊』がありました。
写真でわかる通り、後ろに「帝京平成大学」の校舎(?)がそびえております。
以前は、六つ又交差点の近くにあったお地蔵さんです。
色々な経過を経て「帝京平成大学」の前の祀られております。
大学に通う学生さんたちを育てるのかしら?
ウォーキングコース途中、環七通り中十条3丁目交差点に『八雲神社』があります。
ただいま、道路拡張工事中です。
『八雲神社』はどうなってしまうのでしょうか?
八雲神社(中十条)
中十条三丁目に鎮座し、祭神は建速須佐之男尊。寛政八年六月の創建と伝えられている。境内五十四坪、毎年七月十五日が祭日で、境内に樹齢三百余年を重ねた老杉があつて古くから天王の一本杉と呼ばれたという。(「北区史」より)
ウォーキングコース途中、環七通り姥ケ橋陸橋交差点に『延命地蔵尊』があります。
小さな地蔵尊ですが、縁日は大賑わいです。
この地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖(しゃくじょう)を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像です。台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日石橋供養」の銘文が刻まれています。向かって左側の堂内には石造の子育地蔵尊がまつられています。説明板の横には、道しるべでもある小型の文字庚申塔と地蔵尊の由来碑があります。像は、「姥ヶ橋の地蔵様」と呼ばれて親しまれています。姥ヶ橋とは、稲付川に架かっていた橋の名称です。稲付川は石神井川の支流であり、根村用水とも北耕地川ともいって農業用水として利用されていました。姥ヶ橋には、誤って川に子どもを落して死なせてしまった乳母が、自ら責めを負ってこの橋から身を投げて命を落としたという伝説があります。そして地蔵尊の造立は、乳母の供養のためと伝えられていますが、銘文によれば川に架かる石橋の安全供養のためによるものです。
また、地蔵尊は、2つの道が出合う地点にあったことから「出合地蔵」とも呼ばれています。橋のたもとは、川ロヘの交通路としても利用された十条・板橋道と中山道から分かれて王子稲荷へ向かう王子道とが合流する交通の要所だったのです。
現在は環状七号線の建設で川は暗渠となり、姥ヶ橋も姿を消しました。しかし、延命地蔵尊には参詣者の絶えることがなく、毎年8月24日の縁日には多くの人々で賑わいます。
ウォーキングコースの途中に寂れた神社があります。
『四本木稲荷神社』とあります。
結構広い敷地に祀られているようですが・・・・
『四本木稲荷神社』由来を調べて納得です。
*十条自衛隊駐屯地の東側に、稲荷公園があります。四本木稲荷社はかつてはそこにあったものです。
日露戦争のおりに、陸軍の十条兵器製造所があり、工場が拡大されたときにこの地にあった古墳も壊されました。
しばらくして火薬の爆発などの事故が何度か起き、死傷者がでました。古墳を壊したせいではないか、ということになり、工場の人たちが社殿を造り、工場の守り神としました。
ここには4本の大木があったので四本木(よもとぎ)稲荷大明神と名付けられました。
戦後工場が解散し、現在の地に移されました。 (北区WEBより)
ウオーキングコースを行くと、祠がありました。今まで気づきませんでした。(ごめんなさい!)
この様にひっそりと祠が建っております。
王子ですのでお狐様。(お稲荷様)
一般の人々が手を合わせてはいない様子!!
個人ようですかね??